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本多豊國さん

墨絵に入ったきっかけはなんだったんですか?

26歳だったと思います。それまでは油絵を描いてたんです。 油絵で、しかも抽象画を描いてたの。それが26の時にモンゴルに行ったんですよ。 その当時、まだモンゴルは自由に入れる国じゃなくて、新聞社の人に取材を兼ねて行こうって言われて。 その時、側に荒れたお寺があって、そこに絵があるよって言われて。 その寺に行ってみたら、壁に仏さんを描いた絵があったんですよ。

壁画ですか?

壁画。ラマ教ってね、よく仏画があるんですよ。その絵を見てさ。
見たら古い絵だったもんで色は剥落してほとんどないの。
だけど墨の線だけバッと残ってて。それを見たらショックでね。

ショック? どういう意味でのショックなんですか?

何百年も前の絵が残ってるってことね。風雪にさらされても、墨の線だけ残ってて。 何て言ったらいいんだろうな。それまで僕、油絵でコテコテだったでしょ? どこがショックだったんだろう。
なんだか分かんないんだけど、とにかく墨ですよ。
墨の線を見て、「こんな風に描いちゃっていいんだ」みたいな感じ。
かなりのショックで東京に帰ってきて、これをやろうと思ったの。その時が墨絵をはじめたきっかけだね。

それまで全然、描かれたことはなかったんですか?

全然、全然。あんなもん嫌だよって思ってたの。ジジィくせぇなぁってさ。

絵のジャンルとして、墨絵は確立されているものですか?

カッチカチに確立されてるよ。
中国を入れたら何千年って歴史があって、 日本の絵は基本的には昔からずっと墨絵だったじゃない。伝統がすごいある。 新しい絵を描いても必ず、雪舟との比較みたいになっちゃう。

普通の油絵の世界だったら新しいもの、新しいものが入ってくるんだけど、墨絵は新しいところに行くんだ けれども、また戻るってやり方をする。「雪舟がもういるじゃん。描いちゃってんじゃ ん」って。お手本がいて、それをなぞるって形かな?

その中で少しだけ新しい要素を入れていって、そういうやり方で伝統が作られてきた。入れる余地もないし、形は 決まってるし、あんまり面白くないなとは思ったんだけど。だけど墨っていう材料? 技術がすごく面白かったわけ。墨を扱ってみたいし東洋的だしね。本気で始めたの は30を過ぎてからですよ。

どこからプロになったというか。
自分の自覚の中で、もうプロだなって思えたのは、どの辺からですか?

そうね。難しいな。絵の世界はアマチュアとプロがないと僕は思ってるんです。
子供がうーんって描くのと、僕らがうーんって描くので違いがないと僕は思っているわけ。アマチュアとプロの差って、どこでつけるんだろう。
絵だけ描いてご飯が食べていられることがプロとするなら、僕はかなり早いですよ。

どのくらいだったんですか?

30代で。だって他のこと、やってないんだもん。

絵描き以外のお仕事はまったくされなかったんですか?


やった。一時ちょっとだけね。一年ぐらい。

実際に一年間やってみてどうでした?

サラリーマンだけは絶対に向いてないのが分かりましたよ。やっぱり自分の好きなことをやって生きていたいじゃないですか。一生涯、僕は好きなことをやっていたいなと今でも思っているし、その時も思ったし。それで好きなことが、たまたま絵だった。

絵がお仕事になってしまうと、ただ単に楽しいとか、好きなものとは変わっていってしまわないかなって思うんですけど。

ない、ない、ない。 全然ない。
例えば広告でイラストの仕事があったり、絵本もやったりすれば、仏画も描いているでしょ?
そこに差はない。なんでかって言うと、小さい頃から描き始めたでしょ?

ずーっと描いてるから、描くこと自体が好きなんですよ。描いてられればいいの。ただ描いてたいだけなの。どこかで止めないと全部描いちゃう。そんな感じなんですよ。

すごい。幸せですね。

本当幸せ!!

お顔を見て分かりますよ。描いてる時も、楽しんでいるんだなっていうのが。

悩まないんですよ! 超がつくくらい楽天的って言われるもん。
僕の絵はみんなそうなんですけど、わかりやすいんですよ。悩むことない!
見て、「これは何だろう??」って…そんなのいらないですよ。僕が楽しんでるんだから、見てる人も楽しんで元気が出てくるっていうのかな。見てていいなってね。

僕が心掛けてるのは、この絵が100年経っても飽きないということ。それがプロフェッショナルということかもしれない。

100年経っても飽きないポイントって何ですかね?

愛情と熱意。何て言うのかな。これは絶対いいぞって、自分のお気に入り。 描いてる時から惚れ込んで描いてるというか。それとやっぱり技術ね。 その技術が稚拙だと飽きちゃうんですよ、見てて。飽きないような生き生きした線が引ければと。

一瞬、仏画って難しいんじゃないかって気がしちゃうんですけど、豊國さんの絵って、自然に見れるというか。すごく入りやすいというか。すごく独特なものができあがってるってと思うんですが、豊國さんの自分の絵が確立されたのっていつくらいからだと思いますか?

ここ10年ぐらいかな? まだ10年経ってないかもしれない。墨絵って言うのは体験が大きいんですよ。自分の人生経験っていうのかな? 大袈裟に言うと。

それで何を得たかが現れちゃうんです。絵に自然と入りやすいっていうのは、僕も意識はしてないけども難しくだけはしないようにしてるから。それはすごく難しいことなんだけどね実は。

絵本の時と仏画の時と、トーンが全然違うと思うんですけど、そういう時は気分も違ったりするんですか?あんまり変わらない?

いやいや。やっぱり違いますね。一番緊張するのは仏画の時。なんでかって言うと、仏画はルールがあるんですよ、その決まりは破れないので。

でも僕は今、破ろうと思ってるの、一生懸命。それを破るのは難しいんだけど、型を破って、ほんとの仏画を描いてみたいですよね。

極端に言うと、僕の絵を見たら、仏さんが出てくるみたいな。もっと生きてる仏さんが描きたいなぁ。描けるんなら。様式も超えてしまうような。それができたらいいですね。

そういう型破りなことって、難しいんですか?

難しいよ。だって認めてくれないもん。

さっき、いい絵というのは、新しいものはどんどん入れなきゃいけないと言われてましたが、そういうところで気にしてることはありますか?

新しいってのは何かって、今日より先の話なんだよね。昨日はもう古いんだもんね。だけど僕の仕事は古い仕事なんだよね。技術はものすごく古い仕事だから、それを踏まえてなきゃいけない。

伝統は絶対に踏まえてなきゃいけないけれど、その上にのっけたいわけですよ。のっけてくるものは絶対に新しいものじゃなきゃ駄目って思ってるわけですよ。どこかが新しいものじゃなくて、全体がどこか分からないけど新しいって感じにならないと駄目じゃないかな。

そういう意味では、僕もまだプロセスかもしれない。ほんとの本多豊國の新しさが出てくるまだプロセス。これから成長するのかもしれないですけど。

まだまだ楽しみですね。私ももっといろいろな作品みたいです!

そうなんですよ。もっと若い人に見てもらいたいね。墨をもっと知らせたい!
考え方も見るもの年寄りは、みんな古いんだもん。俺も古いけど、それはあまりいいことではないので、新しいもの、新しい感覚が僕の中にいつもあってほしい。

一番いいのは若い人と接することだよね。年齢が違うのはしょうがないし、どうしようもないでしょ?
だけど感覚の部分では共有したいというか共通でいたいというか。要するにアートはジャンルないって思ってるわけですよ。

それこそ歌でも踊りでも何でもやりたいけど、多分、僕の興味がそっちに向かわないので。だからこういう分野でしょうけど、僕はダンスがすごく好きなので、見て自分の消化の仕方として、絵の中でダンスを踊ってみたいし歌ってみたいしってことですよ。

結局、絵描きですから、絵という舞台でやらなきゃいけないけど、その中で踊ることもできるし、歌うこともできるんじゃないのって。そんな感じなの。

墨絵ライブを開催したり、アメリカで墨絵を描かれたり、全部ご自身で発信されているんですか?

そうですね。特に「USA・50」は今、僕が一番熱中してる仕事です。日本でいう東海道五十三次ってあるじゃないですか。それがヒントなの。アメリカ50州と東海道五十三次が、なんとなく似てるでしょ。(笑)。

昔、安藤広重が五十三枚の絵を描いたから、じゃあ僕もアメリカ50枚を墨絵で描いてみようかなって。

なぜアメリカだったんですか?

それはアメリカに最初、僕の絵を売り込みに行ったんですよ。ロサンゼルスなんですけど、そこでギャラリーといろんな話をしている時に、かったるくなっちゃって、僕はこういう話は無理だわと思って代理人に任せて。せっかく来たんで、アメリカを見て回りたいし描きたい!って話をしてそこからはじまったんですよ。

いつからスタートされたんですか?

5年前。5年前の忘れもしないラグナビーチでね、そういう話が出てやることにしたの。やることにしたのって言ったって、どうやるか分からないでしょ?

僕は英語もろくに喋れないし車の免許もないし。今、5年間で8州。西から東に向かって描いてるんだ。西から東に向かって描いてる最大の理由は年齢です。若いうちに1州が大きいところをやっておかないと消化できなくなっちゃうでしょ。

ゴールはいつ頃を目標にされているんですか??

えーっとね、20年くらいかかるかなと思ってるの。
毎年最低1回は行きたい、本当はもっと行きたいですね!そのくらいでいかないと・・・。僕はやりたいことがひとつあって、 世界の真ん中に墨絵をもっていきたいんです!

どうしてかっていうと、美術史って西洋の美術が中心なんですよ。でもアジアだって日本だってすごいものがあるんだよ、どーだい! って感じで世界の人達に墨の絵を見せたい。これがボクの野望です。

その一歩がUSA・50ですでにはじまってますよね。

そうそうそう。そういうことなんです。
この墨絵で世界中の人を喜ばせて、幸せにしたいんですよ!

では最後に今の若者に向けて一言お願いします!

若い人は生きているだけで新しい!生きているだけでよいなと思うんです。
で、その若者に言いたいことはひとつだけあって、「やりたいことやろうよ!」 ってことなんです。

今の若い子って、僕の息子もそうだけど、なかなかやりたいことなんてないよって。みつかんないよ、どうしていいかわかんないとかそういう感じなんだよね。

だけどとりあえず無理してでもいいから何かやってみる。今の世の中、やりたいものを見つけたら見つけたもん勝ちなんだから!


本多豊國氏 ギャラリー



Profile 本多豊國氏

経歴

1971年 モンゴル・ゴビ砂漠の寺院でラマ教・仏画に強い衝撃を受け、墨絵を始める。
1980年 この頃から約10年公募展(日洋展など)に、油彩具象で出品・入選を続ける。
1987年 フランス・ラニオンで絵本の原画ビエンナーレで入選。以後ヨーロッパで絵本原画の賞を数多く獲得。
1990年 この頃から【アジア的】を主題に【東洋画】を構想。墨彩画に専念する。
1995年 京都・宇治田原町禅定寺で壁画【大涅槃】(縦8m×横45m)の制作開始。
1999年 壁画【大涅槃】完成。
2000年 中国・青島国際版画ビエンナーレで木版画【ASIAN WOMAN】優秀賞。
2001年 【人と大地の営み】を主題として、世界の縮図アメリカ全50州を描く【USA・50】の制作を開始する。
2002年 様々なアーティストとコラボレーションし、観客の前でライブで墨絵を描く【墨絵ライブ】を始める。
2005年 Tokyo American Clubで個展開催。

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