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和太鼓奏者 小泉謙一さん
とにかく太鼓は楽しい!!

和太鼓を始められたきっかけは?

地元にいろんな職人さん達が集まってやっている太鼓チームがあってそこにうちの父親も参加していて、子供の頃からそこに遊びに行っていました。そのうち自分もやりたいなと思って始めたのがきっかけです。

5〜6歳の頃からちょこちょこ遊びに行ったりしていて、10歳からそのチームに入れてもらえるようになって、それからずっと高校を卒業するまでそのチームに在籍して、太鼓を楽しんでいました。

小さい頃から、ずっと太鼓がそばにあったんですね。

そうですね。ほとんど授業も聞かないで机を叩いて、よく先生に怒られていましたね(笑)

(笑)。小さい時から、いつか太鼓奏者になるぞという感じだったんですか?

小さい頃は思ってなかったですね。でも何か人前に出る仕事がしたいなとは思っていました。役者さんとか歌手とかお笑い芸人とか。子供の頃はそういうのに憧れていました。高校生くらいの時に「プロの和太鼓奏者」や「和太鼓集団」が存在している事を知り、太鼓だったら子供の頃からやっているし、「これなら行けるかも!」と思い、少しずつ、意識するようになりました。

ずっと続けてきたその太鼓の魅力は何だったのですか?

何でしょうね、魅力…。苦しくない努力ができたからですかね。努力っていうと苦しいとか、キツイという感じなんだけど、そういうことは一切感じなかったですね。とにかく何をするにも楽しかったし、子供のころは物覚えも良かったし、できるようになれば大人達に褒められるし。

だいたい、太鼓以外の事で大人に褒められる事なんてなかったですからね。まぁ今もほとんどないですけどね、っていうか褒めるポイント全く無しかも(笑)。それに子供の頃は舞台に上がれば上手い下手に関わらず、『子供』だというだけで「あの子、すごいね」って褒めてもらっていました。そうすると、気分も良くなって、もっと覚えたいもっと練習しようという良い循環だったのかなと思います。

そういう環境にいたから、太鼓を覚えるってことが、とても楽しかったのでしょう。

「最終的には自分を信じる心」

林英哲さんとの出会いとは?

林英哲さんといえば和太鼓界のパイオニア的存在で、今でも第一線でご活躍されている和太鼓奏者なのですが、この方が『英哲風雲の会』というユニットを作っていて、英哲さんがコンサートをやる時に、サポートメンバーとして数人メンバーを集めて一緒に舞台に出演したり、最近では『英哲風雲の会』のメンバーだけでコンサートを開催したりしているユニットで、そのオーディションを受けたのが、出会いです。

僕が21か22ぐらいの時だったと思います。当時から英哲さんの名前は勿論知っていたし、英哲さんに見てもらえるっていう事は、自分にとっての分岐点になるのではないかと思いオーディションを受けてみたのです。

この当時は、プロを目指すとはいえ、どうやって活動を展開して行くかちょうど悩んでいた時だったので、この人に「よし、使える」って思われたら、俺も将来あるかなと思えたろうし、「コイツ、使えねぇな」って思われたら、ある種、辞めるきっかけにもなるかなと思っていました。ここで踏ん切りをつけるか、さらに一歩踏み込むか、自分の中で線引きをつける覚悟で挑んだオーディションだったような気がします。

ここ一番の大勝負が来たって感じですね。

そうですね。それで英哲さんのところで見てもらって、結構厳しいことも言われたのですが、とりあえず「いきなり舞台には上げられないけど、手伝いながら勉強しなさい」と言ってくれて英哲風雲の会の仮メンバーになりました。

そこからはコンサートとか、或いはいろんな仕事にスタッフとしてつかせてもらって、お手伝いをしながら勉強したという感じでした。 実際舞台に上がらせてもらうまでに1年半くらいかかりました。

オーストラリアの太鼓の団体へ留学されたのはその後ですよね?

英哲さんがオーストラリアで公演をなさったとき、それに感銘を受けたオーストラリア人が「TAIKOZ(タイコーズ)」という和太鼓チームを結成していて、メンバーのほとんどがプロのパーカショニストという大変面白い和太鼓チームがあるのです。2002年にそこのメンバーに欠員がでて、日本人で即戦力になる人を探しているという話を聞いて是非行きたいと志願して行ったのがきっかけです。

パフォーマーとしての自信がつき始めた頃に、またチャンスが来たって感じなんですね。

そうです。ちょうど1年か2年ぐらい舞台でやらせてもらっていたぐらいですかね。経験も積ませてもらって、ちょっと自分にも自信が出てきたってところだったので、さらにそういうところで自分を試したかった。

自分に何か新しいものが生まれるんじゃないかなと思って。またそのメンバー達は、もともと和太鼓奏者ではなく、メンバーのほとんどがオーケストラの打楽器奏者やプロのパーカッショニストで、そういう人達から何か学べるんじゃないかと思って。音楽のこととか、いろいろ教えてもらえるんじゃないかと思って。

打楽器に限らずオーケストラをやってる方っていうのはアプローチというか、バックグラウンドが全然違うわけですよね。クラシックの理論だとか、そういういろんな刺激っていうのはどうだったんですか?

タイコーズのメンバーは子供の頃から英才教育を受けていて、クラシックとかそういうものにあまり刺激を感じなくなっているというか当たり前的な感じになっているようでした。その点、本来和太鼓は譜面なんて一切なかったもので、ガイドとなるのはいわゆる口伝ですね。言葉でドンドンドコドコ、ドンドンドコドコと教える。

8ビートでとか16ビートでということではなくて、そのような概念はほとんどない。それに彼等は驚かされて魅力を感じたのでしょうね。和太鼓はとっても自由。一人でやる場合もあるけど、何人かでやる場合も、この曲は全くビート感というものが見えないけど、この人達はどうやって始まって、どうやって合わせて、どうやって終わっているのだろうっていうのが分からなくて、そういうものに魅力を感じて、どうやら呼吸とか息とか、そういうものだけで合わせてるぞってことに気付きだして、自分たちもそういうことをやってみたいと。

「空気を読むって」って言葉があるじゃないですか。その思想っていうか概念が日本人ってすごくあると思うんですけど、そこの流れですね。人と合わせるっていう。

まさにそうです。

多分、西洋だとメトロノームがカチカチ鳴ってて、それに対して人間が心地よいものを研究してきて、何分の何ってところの拍でいくと気持良いってのが基本だったのが、和ってそういうのがなくて、自由にやってるんだけれども合ってくる。そこの部分ですよね。

そこに彼等は魅力を感じて。もしかしたら俺もそうだったのかなって事に気づかされたような気がします。何でもできちゃったっていうね。物覚えも悪いし、そんな運動神経も良くないし、勉強もできないのに何でできたかっていうと、そういうこともあったのかなって思ったりもしますね。


一日一日を大切にしたい

今後、挑戦してみたいことはなんですか?

いろんなジャンルの人に聞いてもらいたいです。音楽だけじゃなくて、いろんなパフォーマンスをする人達と、いろいろ仕事をさせてもらったのが20代後半から30代前半でした。

それはそれでいろんな収穫があって、面白いこともあったけど、今度は逆に和太鼓だけで何か挑戦するってことをやってみたいなと。要は原点に帰るってことなのですが、20代の時は和太鼓にはもっと可能性があるんだってことを言いたかったし、やってみたかったんですね。それこそロックバンドに入ってやってみたり、同じ邦楽器の尺八と和太鼓で、そんなに古くさいものじゃなくてかっこいいものができますよ!みたいなことをやってみたり、そういうことを提示していきたかったんですけど、今は、そういうことはそういうことでやるかもしれないけど、自分自身で何か挑戦してみようとしたら和太鼓だけで何かできればなと思っています。

あまりいろんなものに頼らない。もちろん照明や音響は使うかもしれないけど、楽器は和太鼓だけみたいなものをやってみたいかなと思っています。

身にまとってきたものを一回、ザッと脱ぐような感じですかね。

メロディがないと分かりづらい、言葉や歌や台詞がないと感情移入しづらいとか、いろんなことを言われて、そっか、そういうものかって、そういうものにいろいろ挑戦して、それでお客さんの反応を見たり、俺自身の手応えを感じたり、いろいろ収穫もあったのですが、でも俺のほんとにやりたいことってこれなのかなって問いただした時に、最近そうじゃないかもって思ってきたんですね。

俺は太鼓が好きで、太鼓って結構面白いよってみんなに言いたいだけだったわけだから、俺自身がいろんなメロディとか歌詞や言葉とか、そういうものに頼らなくても何かいいものができればいいなと思っているんです。実際どこまでできるか分からないですけど、ある種、究極なチャレンジではないかなって俺は思っているんですよね。

小泉さんにとって自分らしさとはなんですか?

無理せず何事も自然体でいることですかね。なるべく柔軟でいたいなと思っています。いろんなことに対して。人の意見に対してもそうだし。誰かにワッと言われて、こういうことをやっといたほうがいいぞ、これは勉強しといたほうがいいぞって言われて必ず一回は挑戦してみるんです。挑戦してみるけど、そんなに俺にとって重要なことじゃないなって思えばすぐに辞めるし、なるほど、これは俺が今後やっていくにあたって武器になるかもしれないなって思ったら、もう一歩突っ込んで勉強してみたり、とりあえず手応え感じるまでは何でも続けてみます。

これはないなって思ったらパッと辞めちゃうし背伸びもしないし、できないことはできませんってなるべく言うようにしています。その代わりできることはきっちりやるというか、求められた事とできる事が一致したら、必ず成功するように努力するっていうスタンスですかね。あとは楽しく舞台がやれればなと。スタッフさんや共演者といい空気で舞台を作ることを心掛けています。

舞台に上がる時は誰が見ているか分からないし、そこで誰がどう思ってくれるか分からない。だから精一杯やるし。例えば路上ライブができれば身近で話せるかもしれないし、どの人でも話ができるタイミングがあったら、必ず話せることはきちっと話したいですね。逆にもう二度と会えないかもしれないという出会いもあるかもしれないし。だから一日一日を大切にしたいし、その瞬間を大切にしたいなと思っています。




Profile

小泉謙一


和太鼓奏者
75年埼玉県生まれ。10歳の頃より太鼓を習い始める。
高校卒業後、さまざまなバイトをクビになり、失意のどん底の中、太鼓奏者に憧れる。
以後、さまざまなミュージシャンや役者さん等とお友達になる。

99年!!和太鼓奏者の第一人者、林英哲のプロデュースする『英哲風雲の会』の太鼓奏者として審査合格。間もなくデビュー。大ラッキー! 以後、林英哲と共にイベント.ツアー等に参加。
見るもの聴くものが初体験。大収穫and感謝。
それを活かし、02年よりライブ活動も開始し、自身の音楽表現にもチャレンジ。

03年、太鼓奏者としてオーストラリアのプロ太鼓集団『TAIKOZ』に音楽留学。シドニーシンフォニーオーケストラとの共演、オーストラリア国内ツアーに参加。またその他にもシドニーにて『KENICHI KOIZUMI AND FRIENDS CONCERT』を行い高い評価を得る。社交辞令と知りつつも落涙。再.感謝。

04年、1年間の留学から帰国して『英哲風雲の会』に復帰。再.大ラッキー!!
6月には、初のCDアルバム『侍〜SAMURAI〜』を発売。微妙に褒められる。

05年、津軽三味線奏者『上妻宏光コンサートツアー』に参加。津軽三味線の驚異を知る。

06年、『〜萌える闘魂〜突貫鼓僧!』に参戦。気合千発 !根性万発 !!の洗礼を浴びる。
(尚、突貫鼓僧に関する情報は当ホームページ『突貫劇場』にて随時、更新中。)
同じく06年、『吉田兄弟全国ツアー』に参加。2丁の津軽三味線に圧倒される。
更にこの年より、per,渡辺亮 鳴り物 HIDEと打楽器トリオ「カスケット」を結成する。

07年〜08年まで無国籍音楽遊泳 月ノ魚のメンバーとして活動。

ホームページURL:http://www.kennytaiko.com/


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