和太鼓を始められたきっかけは? 地元にいろんな職人さん達が集まってやっている太鼓チームがあってそこにうちの父親も参加していて、子供の頃からそこに遊びに行っていました。そのうち自分もやりたいなと思って始めたのがきっかけです。 小さい頃から、ずっと太鼓がそばにあったんですね。 そうですね。ほとんど授業も聞かないで机を叩いて、よく先生に怒られていましたね(笑) (笑)。小さい時から、いつか太鼓奏者になるぞという感じだったんですか? 小さい頃は思ってなかったですね。でも何か人前に出る仕事がしたいなとは思っていました。役者さんとか歌手とかお笑い芸人とか。子供の頃はそういうのに憧れていました。高校生くらいの時に「プロの和太鼓奏者」や「和太鼓集団」が存在している事を知り、太鼓だったら子供の頃からやっているし、「これなら行けるかも!」と思い、少しずつ、意識するようになりました。 ずっと続けてきたその太鼓の魅力は何だったのですか? 何でしょうね、魅力…。苦しくない努力ができたからですかね。努力っていうと苦しいとか、キツイという感じなんだけど、そういうことは一切感じなかったですね。とにかく何をするにも楽しかったし、子供のころは物覚えも良かったし、できるようになれば大人達に褒められるし。 |
林英哲さんとの出会いとは? 林英哲さんといえば和太鼓界のパイオニア的存在で、今でも第一線でご活躍されている和太鼓奏者なのですが、この方が『英哲風雲の会』というユニットを作っていて、英哲さんがコンサートをやる時に、サポートメンバーとして数人メンバーを集めて一緒に舞台に出演したり、最近では『英哲風雲の会』のメンバーだけでコンサートを開催したりしているユニットで、そのオーディションを受けたのが、出会いです。 |
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この当時は、プロを目指すとはいえ、どうやって活動を展開して行くかちょうど悩んでいた時だったので、この人に「よし、使える」って思われたら、俺も将来あるかなと思えたろうし、「コイツ、使えねぇな」って思われたら、ある種、辞めるきっかけにもなるかなと思っていました。ここで踏ん切りをつけるか、さらに一歩踏み込むか、自分の中で線引きをつける覚悟で挑んだオーディションだったような気がします。 ここ一番の大勝負が来たって感じですね。 そうですね。それで英哲さんのところで見てもらって、結構厳しいことも言われたのですが、とりあえず「いきなり舞台には上げられないけど、手伝いながら勉強しなさい」と言ってくれて英哲風雲の会の仮メンバーになりました。 オーストラリアの太鼓の団体へ留学されたのはその後ですよね? 英哲さんがオーストラリアで公演をなさったとき、それに感銘を受けたオーストラリア人が「TAIKOZ(タイコーズ)」という和太鼓チームを結成していて、メンバーのほとんどがプロのパーカショニストという大変面白い和太鼓チームがあるのです。2002年にそこのメンバーに欠員がでて、日本人で即戦力になる人を探しているという話を聞いて是非行きたいと志願して行ったのがきっかけです。 パフォーマーとしての自信がつき始めた頃に、またチャンスが来たって感じなんですね。 そうです。ちょうど1年か2年ぐらい舞台でやらせてもらっていたぐらいですかね。経験も積ませてもらって、ちょっと自分にも自信が出てきたってところだったので、さらにそういうところで自分を試したかった。 打楽器に限らずオーケストラをやってる方っていうのはアプローチというか、バックグラウンドが全然違うわけですよね。クラシックの理論だとか、そういういろんな刺激っていうのはどうだったんですか? タイコーズのメンバーは子供の頃から英才教育を受けていて、クラシックとかそういうものにあまり刺激を感じなくなっているというか当たり前的な感じになっているようでした。その点、本来和太鼓は譜面なんて一切なかったもので、ガイドとなるのはいわゆる口伝ですね。言葉でドンドンドコドコ、ドンドンドコドコと教える。 「空気を読むって」って言葉があるじゃないですか。その思想っていうか概念が日本人ってすごくあると思うんですけど、そこの流れですね。人と合わせるっていう。 まさにそうです。 多分、西洋だとメトロノームがカチカチ鳴ってて、それに対して人間が心地よいものを研究してきて、何分の何ってところの拍でいくと気持良いってのが基本だったのが、和ってそういうのがなくて、自由にやってるんだけれども合ってくる。そこの部分ですよね。 そこに彼等は魅力を感じて。もしかしたら俺もそうだったのかなって事に気づかされたような気がします。何でもできちゃったっていうね。物覚えも悪いし、そんな運動神経も良くないし、勉強もできないのに何でできたかっていうと、そういうこともあったのかなって思ったりもしますね。 |
今後、挑戦してみたいことはなんですか? いろんなジャンルの人に聞いてもらいたいです。音楽だけじゃなくて、いろんなパフォーマンスをする人達と、いろいろ仕事をさせてもらったのが20代後半から30代前半でした。 身にまとってきたものを一回、ザッと脱ぐような感じですかね。 メロディがないと分かりづらい、言葉や歌や台詞がないと感情移入しづらいとか、いろんなことを言われて、そっか、そういうものかって、そういうものにいろいろ挑戦して、それでお客さんの反応を見たり、俺自身の手応えを感じたり、いろいろ収穫もあったのですが、でも俺のほんとにやりたいことってこれなのかなって問いただした時に、最近そうじゃないかもって思ってきたんですね。 小泉さんにとって自分らしさとはなんですか? 無理せず何事も自然体でいることですかね。なるべく柔軟でいたいなと思っています。いろんなことに対して。人の意見に対してもそうだし。誰かにワッと言われて、こういうことをやっといたほうがいいぞ、これは勉強しといたほうがいいぞって言われて必ず一回は挑戦してみるんです。挑戦してみるけど、そんなに俺にとって重要なことじゃないなって思えばすぐに辞めるし、なるほど、これは俺が今後やっていくにあたって武器になるかもしれないなって思ったら、もう一歩突っ込んで勉強してみたり、とりあえず手応え感じるまでは何でも続けてみます。 |