まずスケートボードをはじめたきっかけを教えてください。 小学校5年生の時です。目の付きやすいところにスケートボードがありましたね。光GENJIの世代だったので、はじめはローラースケートをやっていたんですけど、トリック性を追求していくと、僕はスケートボードに行き着きました。今まで野球やってもサッカーやっても、なんだかフィットしなかったというか…そこに僕の活躍の場はないってずっと思っていたんですけど、スケートボードは やった瞬間に、これはいけるかもって思いましたね。 小学校5 年生の 12 月に始めて、半年後には全国大会に出ていました。 そんなにすぐに上達するものなんですか? 僕は運が良かったんですよ。スケボーを本気でやっている中学生や高校生のお兄さん達が僕の地元の公園に滑りに来ていて。そのお兄さん達と一緒に滑っているうちに、「お前も、全国大会あるけど出てみない?」みたいなノリで誘われて。そんなに計画性はなかったですね。僕も好奇心いっぱいだったから、うまい奴と一緒に滑りたいって小さい時からずっと思っていました。 はじめての大会はどうだったんですか? 80 人中 20 位でした。 そこからモチベーションが上がっていった感じですか? そうですね。そこでだいぶ上がりましたね。草大会にもよく行ったりしてたから、うまい人がどんだけうまいかも分かってたし。実際に人が飛んでるのを見たら、俺もああいうふうに飛べるのかなって思うじゃないですか。子供だから余計に。環境が良かったっていうのは本当に運がよかったですね。 スケボーの世界ってどこからがプロになるのかなって分かんなかったりするんですけど。 その辺が曖昧なんですよ。アメリカで言うと、アメリカはスポンサーがついて、自分のシグネチャモデル出さなきゃいけない。要するに自分の名前の入った自分のモデル。 荒畑さんにスポンサーがついたのは、どれぐらいの時だったんですか? 僕が初めてスポンサーを頂いたのは 15 歳ですね。 それって早いですよね。 早いですね。始めて3年ぐらいでつく人もいるんですけど、僕らの時はスケーター人口も多かったし、ライバルもすごくいっぱいいたから。今、日本の業界で活躍してるトップの連中が僕とみんな同じ世代だから。 その次を目指すところは、どこになるんですか? そこから次を目指すのは金銭面が発生するところと、アメリカでした。 金銭面って、それで食べていくってことですか? そうです。そこから食べていくレベルになるまで約5年かかりましたね。今、契約しているスポンサーにお金を貰ったり、あとは自分で会社を立ち上げてプロデュースしたりって感じですね。 アメリカへはどういうきっかけで行ったのですか? 18 歳で日本チャンピオンになったんです。そのとき、当時についていた代理店の人達に、「今度はアメリカでやってみるか」って言われて。なんといってもスケボーのメインはカリフォルニアですから。 |
アメリカに初めて行ってみたときはどうでした? 感動の連続でしたね!! 空港を降りて、青空にまず感動して。 実際、アメリカでやっている人を見て思ったのは、どういったことでしたか? 層が高いってことですね。子供から大人まで楽しんでいるスポーツだなと。メジャーなスポーツですよ、ほんとに。今、カリフォルニアは野球をやっている子供より、スケートボードをやっている子供が多いらしいですよ。 実際やっていてレベルの高い人達を見て、どんな感じでした? それはもう衝撃でしたよ。自分が子供のときからビデオで見て「すげぇ」って思っていた人達が、普通に滑っているわけじゃないですか。それ見て感動したし、あとはずっと行きたいと思っていたスポットがあったりして。 |
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やっぱりレベルは全然違いました? 全然違いますね。日本よりはほんとにレベル高いですね。アメリカのほうがはっきりしているのかな。うまい、下手が。 その中で自分が初めてやってみて、どんなことを感じました? 僕はもう、いけると思っていました。 初めて行った時にアメリカのスポンサーがつきましたから。 すごいですね。 もう頑張りましたよ。 アメリカに行って、目指すところが変わったということはありますか? 目指すところは変わりましたね。ビジネスの部分も日本とは全然違ったし。はじめはそういうのが全然、分からなかったけど、実際に見たり、英語を学んで言葉も段々と覚えていくうちに、そういうのが段々わかるようになってきました。写真の撮り方とか、映像の撮り方とか。日本とアメリカってこんなに業界の差があるのかって感じました。あとは滑っている時の姿勢というかトライの仕方も違いますよ。 どう違うんですか? 例えばウォーミングアップの仕方が違っていましたね。例えば手すりを滑る前に階段のチェックをして、イメージを膨らませることをよくアメリカの人達はやってますね。 荒畑さんのスケボーの特徴って何ですか? 例えば技がすごいとか。 僕は多分、今で言うとスケートボード 20 年やってきた動きを出したいっていうか。僕が思う一番すごいスケートボーダーって どんなセクションでも屈しないで滑れるスケーター。 例えば階段も飛べて、ウイリーも出来てとか、そこにあるもの、何でも滑れちゃうのがすごいなって思います。それを自分のスタイルでアレンジして出していって、僕の渋味的なものを伝えていきたいですね。 20 年やってきたから技の引き出しがいっぱいあるんで、僕にしかできないことを出していきたいです。 |
スケボーの魅力って、いっぱいあると思うんですけど、どういうところですか? スケボーの魅力ですか。うーん。 追求しても追求しても満足できない ところですかね。その日に満足できても結局、満足できることがないです。それができちゃったら、また次もやりたくなるし。スケートボードはアーティステックみたいなところもあって、例えば技の形とか、自分の出すスタイルも追求していかないと、かっこいいものも出てこないし味も出てこないですよ。そういうのをいくら追求しても、技ができればいいってもんじゃないから。 技ができてチャンピオンになれたら、その次はどこを目指していくんだろうなって考えたりするんですけど、まだまだあるんですね。 まだまだあるんですよ。それは日々あって。多分、書道家でもみんな一緒だと思うけど、書くスタイルっていうのがいくつになっても満足いかないと思うんですよね。「これ、俺のスタイルが出てねぇな」みたいな。芸術に例えて言っちゃったんですけどたぶん一緒じゃないかと思います。 そうですよね。目指すところ、まだまだありますよね。 多分、死んでも無理なんじゃないですかね。満足は。 今はもう大会に出られることはないんですか? 大会に出場することはあまり今は意識はしてないですけど、 大きな大会を自分達でやりたいなと思います。逆に作る側に回りたいなって。これからは日本のスケートボードを盛り上げていく方向ですね。 今の日本のスケートボード業界はどうなんですか? 世界から見て。 マーケット的には多分、アメリカのシェアや世界のシェアに入っていると思います。でも実際、スケートボードはこれからのスポーツだと思うし。行政の人達がやっと協力してくれるようになってきて、スケートボードする場を作ってもらったりしています。ここ 10 年ぐらいで地元のパークの子達が署名を集めて市に出して、市がその署名を見て受け入れてくれてパークができ上がったと。そういうのが全国各地で増えてきていて。 スケートボーダーの人口は増えてるんですか? 増えてると思いますね、少しずつは。パークも増えてきているんで。特に子供が増えています。全体を盛り上げていきたいですけど。スケートパークの設計もそうだし、行政に対してのアプローチも。僕、こういう出演という仕事もさせてもらってるんで、こういう場所でも発言させてもらえているじゃないですか。そういうので訴えかけていきたいし。 今後、やりたいことをお話しください。 最近、僕は仲間と会社を立ち上げて、自分で一から全部やっているんです。オーダーから、出品から営業から全部。その会社を立ち上げようと思ったきっかけっていうのが、日本のスケートシーンを変えたいと思ったからなんです。 スケートボーダーが作るスケートボードの会社が、 アメリカにはあるんですけど日本にはなくて。やっぱりスケートボード分かっている人がスケートボードを扱わないと、僕は業界的に進化しないと思っているから。一応、僕らも挑戦なんですけど。 会社立ち上げるとは大きな挑戦でしたね。 でもやらなきゃ後悔するんで始めました。なかなかお金を稼ぐことは難しいと思うんですよ。特にスケートボードで。もし儲けたいんなら、もっと儲かる仕事はいっぱいあると思うし。だけど僕はスケートボードでそういう仕事がしたかったから。どうしても今まで勉強したことを生かしてみたかったし。業界も苦しいのは分かっているけど、変えていけば何かが絶対変わると思っているし、僕らがちゃんと生計を立てているという見本を見せれば、いろんな人達がスケートボードを始めるかもしれないし、協力してくれるかもしれないし。誰かがやり出さないと何も始まらないと思います。 まずは挑戦することなんです! |