フラメンコを始められたのはいつごろですか?
学生の頃です。最初は何かリズムがあるものをやりたいと思ったんです。
その時期にたまたま小松原庸子先生(※注1)の舞台をテレビで見て、「フラメンコってこんなに明るいものなんだ?」って思ったんです。
それまではもう少し暗いものだけだと思っていたので。
それで翌日に小松原先生の研究所に行ってそのまま入所しました。
リズムがあるものがやりたかったというのは?
なんでしょう。もしかしたら足を打ち鳴らしたいって思っていたのかもしれないですね。
元々踊りはバレエをやっていたのですが、バレエはずっとつま先で立っていないといけない。足をギューっと伸ばしながら立って、
我慢していないといけないので。
その我慢を爆発させたい、と。
(笑)分からないですけど、そう思ったんです。
リズムって言葉でまとめていますけど、後から考えると足を打ち鳴らしたかったのかもしれないですね。
フラメンコというと情熱的で激しいイメージがありますが、
足を打ち鳴らしたいという願望も含めて何かしらの激しさを求めていったということでしょうか?
そうかもしれません。フラメンコを始めた当時はジプシー(※注2)っぽい激しい踊りに憧れていて、
型にこだわらずに力を入れて踊っていたんです。そうしたらある日先生に体の細長い私がジプシーっぽい激しい踊りを
やろうとしても自分が思っているほど観客には響かない、ということを言われたんです。
今は自分が教える立場になったから分かるんですけど、踊りを始めて日が浅いと気持ちだけが先走って自分がやりたいことと
自分に似合うことは違うんだということが分からないんですよね。
自分自身に対する思い込みや思い入れの強さを覆すのってとても難しいことなんです。
人間は一人ひとり見た目やイメージも違うので、そういう部分を繊細に汲み取って、自分を創っていかなければならなかったのでしょうね。
自分だけではなかなか気付けないことがあるんですね。
最終的には、先生のアドバイスの真髄は、単純に身体的なことだけでなく、ジプシーの血とでもいいましょうか、
文化の背景が違うことや、言葉では説明の出来ない彼らの一族としての誇りや結束の強さ、精神性などを知らずして、
簡単に踊りの表面的な部分だけを真似をすることの危険性をおっしゃっていたのだという風に最近は感じでいます。
フラメンコに出会う前までは、これほど精神性の強いものに触れたことがなかったような気がします。
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スペインのカンテ・デ・ラス・ミナス国際フィスティバル・フラメンココンクールという権威ある大会で、2003年に日本人初のセミファイナリストになられていますがその時のお話を聞かせてください。
スペインでもアンダルシア地方(※注3)の人はフラメンコに対してすごく保守的なので始まるまでは心配でしたね。
出番まで舞台裏で待っていたんですけど、今までずっと一緒にツアーを回ってきたスペイン人のバックミュージシャン達の様子がおかしいんですよ。
彼らはスペインの大物アーティスト達とも仕事をしているような本当に一流のミュージシャン達なんですけど。
要するに彼らに対する周りの目っていうのはよりによってこの大きなフェスティバルの舞台で日本人のバックで演奏するのか!という感じなんです。
日本人!?けしからん!!みたいな。
そう、だから彼らもソワソワしているんですよ。しかも私の出番がコンクールの一番手(笑)。
それでいざ演技が始まって、最初に私がバシッとキメて止まった時に会場がシーーーーンとしたんですよ。
「あれ、全然ダメなのかな?」って思って(笑)。
(笑)
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演技が終わった後に現地在住の日本人フラメンコジャーナリストに聞いたんです
「外国人が一番手で出て来たのが嫌でみんなシーンとしちゃったのかな?」って。
そうしたらその人に
「あれね、皆ビックリしちゃったの。全くフラメンコだったから。
風格があって、セビージャ派(とよばれる女性舞踊)の粋(いき)を、日本人 舞踊家がみせてくれるなんて。
女性らしく優美でしっとりした舞踊で、鳥肌がたつくらいの感動だったの。客席もシーンとして見守って、識者も、ファンも、皆が驚いていたの。
それくらいすばらしい舞台だった。同じ日本人として、誇りに思ったよ!本当に本当にありがとうね!」って言われて。
その言葉、とても嬉しかったのを覚えています。
観客はいきなりで面食らったんですね。
そうそう。「シギリージャ」という曲を本当に伝統的な形式でやったんです。
バタ・デ・コーラという長いスカートにカスタネットを持って。
このスタイルはすごく難しくて最近ではスペイン人でも若い人であまりできる人がいないんですよ。
だから(評価された点として)いきなり知らない東洋人が来て今ではスペイン人でもやらなくなったようなことを正装でやってくれた、
というのはあったと思います。
伝統に則った形式で演じることで、純粋に技術だけを色眼鏡を外して見てもらえたということでしょうか?
どうなんでしょう。色眼鏡はとれないですよ、彼らからは。スペイン人、
特にアンダルシアのフラメンコの人って外見をすごく気にするんです。(肌は)黒く焼けてなくてはいけない、
メイクはばっちり、ファッションもキメキメみたいな。
だから自分たちと見た目が違う外国人には厳しいところがあるんです。
ただそういう人達からの批判的なことが一切なかったのは良かったですね。
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平さんにとってフラメンコってどういうものですか?
なんでしょう。人生を学ぶところ。学校。
それは教える立場になった今でも?
もちろんです。フラメンコとはなんぞやって言いたいところなんですけど、それはまだ語ってはいけないような気がする。
そんなに簡単に極められるものじゃないから面白い?
面白くないかもしれないです(笑)。
ただカッコイイことをやりたいと思って踊っていた頃のほうが幸せだったって思うくらいで。
いいものを追求していくと当然、考えなくてはいけないことも増えていく訳ですね。
本当は踊りをやる人は踊りのことだけを考えていればいいのかもしれないですけど。
今は作る側の視点もあるので、全体の舞台というか箱があって、そこに立つと光がどう当たって、音楽がどうで、
という風に全部含めて考えてしまうんです。
その箱がどこの場所にあるのか、どういう劇場なのかというのも大事ですし。
なるほど。
ただ、やっぱり信用できる人がいないといいものはできないのかなって思います。
こんなに(フラメンコを)やっていてそんなに簡単なこと?って自分でも思うんですけど。
踊っている人、歌っている人、ギターを弾いている人の信頼関係というか、いい関係がないと絶対成功しないんですよ。
お金を払って雇われている間はもちろん雇用関係はあるんですけど、
お金以外にこの人の為にやってやろうという気持ちがないと絶対にいいものはできないですね。
スペイン人でも結構いい公演をしている人達って実は夫婦だったりとか、実は恋人だったりとか、やっぱりそういうことなんですよね。
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スペイン人のある著名な舞踊アーティストと話していて“日本人でもスペイン人と全く同じような思いで、
または感じながらフラメンコを踊れるか?”というテーマで議論になったことがありました。
私は、「わからない。それは、同じだと言えない。なぜなら、スペイン人の思いというものは、スペイン人であるがゆえに分かるわけで、
でも思いは人それぞれだから、同じようにとは言えない」と屁理屈のようなことを言うと、意外にも彼は
「俺は、同じような思いで踊れると思う」とあっさり答えました。
その彼にある楽屋でインタビューをされて、「ソニケーテ(規則的に続く単調なコツコツというリズムのこと)と聞いて、思い浮かぶものは?」
と聞かて、私は「シレンシオ(静けさ)」と答えました。
その時、彼が固まってしばしの後、他のスペイン人のアーティストに「Que Bonito!(美しい)。聞いたか、お前?」と言って、
自分の両腕の鳥肌を見せてくれました。つまり、彼はその言葉から自分たちがまったく想定しないものを聞いた驚き、
インスピレーションの違いに感激していたんです。
私も彼らと同じ思いではいられない、だからフラメンコは難しいと思い悩むより、もっと自分を信じて、
自分の思いでやっていってもいいのかなと思ったのを覚えています。
そして、外国人に厳しいスペイン人の中でもお互いに敬意を持ちながら一緒にやっていける人たちと一人でも多く出会い、
良いものをつくっていきたいと思いました。
注1)日本国内のみならず、海外でも輝かしい成功を収める日本フラメンコ界の第一人者。
注2)流浪の民。ロマ。彼ら独自の音楽・舞踊が現在のフラメンコに発展したと言われている。
注3)スペイン南部に位置する自治州。フラメンコ発祥の地。
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