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ティキアーティスト 神谷ハンセン高志さん
「お前絵を仕事にしないと幸せになれねぇよ。」って言われたんですよ。

若いころはどんな人だったのですか?土地柄サーフィンはやられていたと思いますが

サーフィンはそうですね、10代の頃からサーフィン始めたんですが・・・。
今年46・・・まぁ周りの友達とか先輩とかやってたんで自然に。それなりの悪さをしていた10代です(笑)

なるほど

何がおもしろいんだろうっていう中でのサーフィンであるし、どっちにしろ年齢いけば、 どっち取るのってなれば、サーフィンが残るし。その中で、先輩たちから教わって、 「サーファーってどういうもんなの?」っていうのを叩き込まれた。
今みたいなサーフィンに対するそんなスポーツっていうよりも、ライフスタイルという要素が強かった。 だから・・・丘に上がっていてもサーファーなんですよ。

本当にライフスタイルですね。

リーバイスの646-517フレアとかがね、当時は。フレアでカリフォルニアTシャツとかだったり。
サーファーたるものそのズボンは無いだろ!って怒られたりする。サーファーの癖にそれはかっこ悪いよって。
乗る車にしてもその車に貼るステッカーの種類とか位置とか、すごい厳密にサーファーたるものはこうであるっていう、 そーゆー、いわゆるマニュアル的なものを叩き込まれていった。

ティキアーティストになるまでは色々とお仕事されていたと聞いたのですが。

要は職を転々としたっていう事ですね(笑い)。クリーニング屋で働いたり、ラーメンの製麺工場の配達係をやったり、 あと建築現場で働いたり、シーリング屋さんていうコーティング・防水屋さんで働いたり。一通り全部出来たんですよ。 それなりに3年とか5年とかいるわけですよ。ただ、やりたいことではなかった。
やりたいことが見つからなかったが、絵がうまいという自負はあった。絵が描けた。
幼い頃におじいちゃんが一緒に住んでて、おじいちゃんのアトリエっていうのがあって。

おじいさんは何をやられていたんですか?

画家。まぁ大した事ない画家ですよ。

おじいさん画家だったんですね!それじゃやっぱり血じゃないんですか?

アトリエに行って、それで絵を描いてた。小学校入る前から暇さえあれば絵を描いてた。

それはおじいさんと一緒に?

画材が転がってた。手を伸ばせば、スケッチを描くなり、木炭がなり。

道具があったんですね。それは触りたいですよね。

そこにいっぱいあって。あといろんな有名な画家の画集とかがある部屋だったので、裸婦の絵とか盗み見て忍び込んだ(笑)そういう小学生だった。 絵で食っていくっていう話を親にしても、「無理だよ」って言われてきたんだけど、サーフィンで知り合った仲間達はよくわかってくれていた。
それで、先輩一人が革ジャン持ってきて「お前、絵得意だから背中になんか絵描いてくれよ」って。 俺が絵が描けるという情報が仲間内では誰もが知っていることだった。そんな中で10こくらい上の先輩に絵描いて、 「お前絵を仕事にしないと幸せになれねぇよ。」って言われたんですよ。
それが結構俺の中ではターニングポイントの一言。
「こんな事してらんない」って思ったの。それが20代の中ころ。
当時60人くらいのパートのおばちゃん束ねてたクリーニング屋の工場長とかやったんですけどね。 これは俺向いてたかは分からないけどたぶんつまんねぇしなと。ていうかサラリーマンは10年後いくらもらえるか分かっちゃうじゃん。それで辞めた。
でも絵業界で食うと単純にそう思ったって無理じゃない。そうだ看板屋だって思って。野外広告美術をやっている会社に就職したの。 そこではクリーニング屋の仕事は役立たないけど、シーリング・コーキングの仕事とかもそこでも役に立ったし、 コンクリ練って柱たてで看板付ける時も、そういう事も全部看板屋さんに集約してた。

なるほど、今まで培った自分の・・・

土木作業とか、土方のバイトとか、そういうノウハウが、

ここに集約されていたわけですね。

素人よりは出来た。ただ会社自体が古い体質の考えだから、俺がいつまで経っても一番若いわけ。
文字を書くっていう看板てやっぱり少ないし、会社事態存続が難しくなってきて、「独立するよ社長。俺を置いていくより、 俺がどっかにアトリエを借りて、そこで借りる家賃分くらいの仕事を俺に発注してくれ。従業員一人抱えるよりも、安いだろう」と。

それおいくつくらいの時だったんですか?

それが30の時かな。5年いて大体分かったから。後日談だけど、「独立して、俺が借りるアトリエの家賃分くらいの仕事を発注してくれっ」て言ったけど、一切無かったね(笑)。
世の中そんな甘かない(笑)。まぁ〜、そういうもんかと。でもまぁしょーがない、やるしかねぇなと。なんでもやったんでね、断らずに。でも名刺を持っていって営業するって事は一切しなかった。

全部口コミだけで?

最初は知り合いに「俺こういうの始めたから頼むよ」「じゃあここにこんなんでいいから作ってよ。」 そこで要するに差別化を図らないと存続が無理だからまず、人がやってないことで作ろうと。
看板の素材としては型破りなものを作ることで差別化したり、例えば「見たことも無いよこれ」とか「この材料使っちゃてんの!」とか。 人と同じ物を作っても大きい会社に勝てるわけないし、仕事が回ってくるわけないから、 そこで俺なりの個性を出せば、誰かしらひっかかるだろうなと思った。
そんな中でまず第一にアトリエを借りることで、作業を見せようと思ったの。

アトリエ公開ってことですか?

そう。通り沿いであること、工房をスタイリッシュにきめること。お店じゃないけど、全部のセンスを見てもらうおうと。作品を見てもらうというより、そのスタイリッシュであるという事が重要になってくる。

なるほどなるほど

そこでその差別化を図る仕事を自分で考えて、でも波乗りもやってたんですよ、ハワイもちょこちょこ行ってて、 そこでティキという仕事に出会うわけです。

「じゃあ2メートルくらいのティキとかをここにドーンと置いて、そういうのやっちゃえばいいじゃん!」

なんで俺がティキを作り始めたのかというと、ムラサキスポーツの設計をやってた友達が、「今回ムラサキスポーツの店作りのイメージをディープハワイアンでいきいたいんだ。どうしたらいいだろう?」という話をもらったわけ。

それは看板のですか?

いや、内装全部。看板というよりは、設計屋さんだから、「どこをどうすればハワイスタイルになるかな?」っていう。
まだ今みたいにハワイハワイしてる以前の話だけどハワイの「コアな部分」を要求された。 ハイビスカスがジャーンとしているのじゃ駄目なんですよ。
「じゃあ2メートルくらいのティキとかをここにドーンと置いて、そういうのやっちゃえばいいじゃん!」って言ったら 「それいいねぇ!じゃあティキどうしようか」っていう話になって、「あぁ、俺作れるよ!」って、作った事ないのに(笑)

仕事欲しいから、「作れるよ、任しといて!」って言って、見積書いて、見積書が通って。
さぁどうしようと(笑)とりあえずやってみるかと。見よう見まねで最初は。それでやり始めたら面白いわけ。

どこら辺が具体的に面白いですか?ティキは。

要はね、チェーンソーを使って大体彫っていくんだけど、チェーンソーで丸太を彫っていくっていう作業自体が面白かった。

普通じゃやらないですもんね。

うん。チェーンソーっていうそのツールの魅力もあるし。その絶対女の人は使わない道具だから。 自分がいつも欲求している独自性っていうものがあったわけ。
それにしかも通り沿いで、丸太を置いてチェーンソーでバンバン彫刻やっているのをいっぱい人が見るわけ。

それ目立ちますよね。

出来栄えも初めてにしてはそこそこ。もうこれ何本目ですか?ぐらいな(笑)

あはははは(笑)。すごいですね。

それで気に入ってもらって、「じゃあ次の店もこういうコンセプトでいきましょう」って結構作ったわけ。
作っちゃ送りでバンバン作ってた時期があった。だけど、これ神様だろと。 今はないけど、いないけどカフナイ人ていう古代人が崇拝していた宗教の神様。 その神様をそんな気分でちょろちょろやるわけにはいかんと。
じゃあよし、ハワイの作ってる奴訪ねていって、技術が盗める部分があれば盗むし、もっと心の部分、 スピリットの部分を話を聞きに行こうと、聞きに行ったわけ。で、そこで出会ったのがマヘ・ウィリアムスという人だった。

ちなみに、ティキの腕前も相当なものだったのですか?

あ〜・・・俺の方がうまい(笑)

あはははは!言っちゃいましたね(笑)

その技術的なことよりも、もっとスピリットの部分の話が聞けてよかったかな。
その「カフナイズム」古代宗教の今それを信仰している人たちがいるかどうかは定かではないんだけど・・・。 カフナっていうのはハワイに渡ってきた古代宗教で、カフナっていうのは呪術師っていう意味ですね。 人を治癒する、部族の中にいるお医者さんだったり先生である。 大体部族にはどこの文化にもある人を治癒する、それをカフナって呼ぶんですけど。 その考え方をイズムっていう英語ですよね。カフナイズムと呼んでいる古代宗教。
ヨーロッパ人の入植と共にキリスト教を普及することで全部引き倒され、壊され、ハワイの言葉はもう使う事は禁止。 その文化の踊りなり歌なりも禁止、伝説も禁止。全部根絶やしにされた、文化と宗教。 建造するティキはほとんど無くなった。

建造しているものは無いんですか?

えーっと、ビショップミュージアムで一点、見た事はあるんですが・・・ あと博物館に納められているけれども、しかも文字を持たない文化なので、きちんと残って無いんですよ。
ティキも4大神というのがいるわけですよ。日本と同じ八百万じゃないけど、自然一つ一つにその力に神が宿っているといるという考え方で。 4大神それぞれ特徴があるんだけど、でも現地に人間は誰もそんな決まりは解ってない。
これはマナという超自然の力が自分の体を通って作ってるから、これは俺が作ったんじゃなくてマナが作ったんだとっていう理屈なんだよね。

こんな楽しい事無いよね。ティキはマナが作ってると思って作れと。

それを面白いって思う神谷さんの考え方も間違えなくマナが入ってますよ。

入ってると思う。
それで、骨で作った首飾りを渡されたのよ。それはマヘさんに。「ティキ作れるならこれも作れるだろう」と。 ではじめたのがボーンカービングね。骨彫刻だよね。
昔は部族の中で死者が出ると、骨を埋葬した骨を使って、釣り針を作って漁に出たの。 で、死んでいった部族の仲間が生き残った部族に富をもたらすと信じて、亡くなった人の骨で釣り針を作って漁に出たの。 だから昔は人骨で釣り針で漁をして、それは富をもたらすもの、神聖なものという発想だった。
それはもう現代になってくれば、キリスト教が入ってくれば、ただの野蛮な行為になった。 家畜の骨とか、くじらの骨とかで釣り針を作っていたらしいから。
それで漁をしていたんだけれども、ヨーロッパ人たちが今度入ってくることで乱獲を始めた。必要以上に獲るようになっていった。 物を取り返すという意味合いで、釣り針を身に付けて、富の象徴とした。

アクセサリーとしてですか?

お守りなんだけどね。それは自然に対するものとか、先祖に対する敬意の表れなわけ。 自然とか、先祖とかとの繋がりを深めるお守りであるっていう考え方になってきた。
だから釣り針型の骨で削ってあるお守りとして首からさげてる。釣り針として使わないなら、どういう曲線でデフォルメして、 それをアートとしてやっていけるかっていうところがテーマであるし、そこら辺が面白みでもあるし。
お蔭様で俺が作る釣り針型のペンダントは非常に日本人にはうけがいい。クオリティとか。

伝承したい。五百年続けば伝統文化だから

では今後挑戦したい事は?

あ〜・・・伝承したい。「和でございます」って言ってんのはたかだか500年とか1000年程度の話じゃん。 五百年やれば、繋がれば、俺は五百年後に肯定される。
それでこの間ね、中学校でボーンカービングの授業をやったの。それで、骨持ってって、生徒たちに好きなデザインさせて、自分たちで削らせて。 首から下げられるところまで3時間くらいの授業をやって。
それですこぶる評判が良かった、子供たちに。中学校2年生。初めての試みだったらしかったんだけど、すごい手ごたえがあって、喜んでくれて。 でみんな自分が作ったのを自慢げにしててくれたのが嬉しかったんで。
それを何かね、しかもここに根付かせたい。この湘南という街で。

それを文化としてですね。

そうそう。「俺は湘南出身だから、ボーンカービングくらいは出来るよ」っていうそういう生意気な奴が出てきてくれると面白いですから(笑)

それは面白いですね!お前サーファーなのにボーンカービング出来ないの?みたいな(笑) なるほど、「伝承したい」

なんか伝承したいっていうと偉そうだけど、なんかみんなにやって欲しい。 商売敵増えるからなんとも言えないけど(笑)とりあえずは追いつくまでにはまだ時間があるだろうから。

腕的にはやっぱりHansenさんの方が上なんですか?

もうね、そこで僕がボーンカービングの腕で勝ってますよっていう人を見ると、すごい。きちんと出来てるし。 でも、それなりの個性があるから、それはそれで良しじゃないですか。独占企業ってわけにはいかないから。

「あなたを必要としている人が必ずいる」「あなたに助けて欲しい人が確実にいる」ってことを分かって欲しい。

何か若者に言いたい事はありますか?メッセージとかをぜひお聞かせください。

人間は誰かを助けるため生きていると思う。自分以外の第三者。 子供であり、奥さんであるかもしれないし、親だったり友達。誰かを助けるためにここに生まれてきてる。 男だったら何でもいいからとりあえず働けって事ですよ。

あははは。とりあえず働け(笑)

目的が9時から17時まで拘束された見返りに、代償に、お金をもらう事が仕事だと思っているから間違いが起きる。 仕事の目的ってお金をもらう事では無いんですよ。それは二次的に発生するだけで、目的は誰かを喜ばせるか、助けるか、これしか無いんですよ。 自分の体が動いた、そこの先の目的って、【誰かが喜ぶか】、【誰かが「あ〜助かった」って思うか】、その2個。 自殺を考えていた子が、あるアーティストの歌を聴いて、頑張ってみようと思ったっていう話を聞いた事があるんですけど。 そのアーティストは確実に人を助けてる。お金は確実にもらうべきなんですけど、発生するだけの事だと思えばいい。 気に入ってもらわなきゃお金はもらえないわけですよ。僕なんか「こんな物に金払えるか」ってどやされる所に生きてるわけですから、 喜ばせるしかない。感謝してもらうしかない。だから若者よ「あなたを必要としている人が必ず居るんです。」という事。 「あなたに助けを求めている人が確実にいるんです。」っていう事を分かっておいて下さい。 「あなたが生まれてきた理由はそこにあるんですよ。あなたの助けを必要としている人が確実にいるんです。一人以上。」

すごいいい言葉ですね。あなたを必要とする人が必ずいる。

確実に居る。今見当たらなくても、将来絶対出くわすんですよ。

だから今頑張れと。

そう、そういう事なんです。

分かりました。すごく良い話でした。本日は本当にありがとうございました。僕も、がんばるぞ〜!




Profile 神谷ハンセン高志

1960年生まれ。神奈川県藤沢市辻堂在住。湘南育ち。
幼少のころより画家だった祖父のアトリエに忍び込み、アートに対して影響を受けていく。
野外広告美術の会社を経て独立。ティキ・ボーンカービングのアーティストして現在も活躍中。

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